【映画感想】ブレードランナー2049【ネタバレ】
ブレードランナー2049を鑑賞してきました!
ネタバレありの私の率直な感想です!
デッカードが人間なのか?レプリカントなのか?
今作を見た理由は明確で、前作で答えが出なかったデッカードが人間かレプリカントかを確かめるためでした!
結論から言うと、残念ながら今作でもデッカードがどちらなのかは語られませんでした。しかし、明確な答えは提示されなかったかわりに、監督がこの作品を通して、「デッカードがどっちなのかはこの映画を見て、みんなで考えてください」と言ってるように感じました。
そして、個人的にその答えとしては、
人間を人間と定義するものは
「自分の意思を持って、行動を起こせるかどうか」であって、
「デッカードは人間である」という結論に至りました。
作品を通して語られる「人間」とは?
今作のレプリカントは、ほぼ人間と同じように見える。(めちゃめちゃ強いけど)
侘しい食事を豪勢に見せたり、寂しさを感じ、最新のソフトまで買い込んで、擬似恋愛もする。昼間にお酒を飲んで、ウットリし、日なたでお昼寝もする。これだけでも、前作のレプリカントよりもかなり人間に近い。
しかし、主人公のK(ジョー)は紛れも無いレプリカントである。中身はほぼ人間であるのに、彼はレプリカントとして作られた為に、レプリカントなのである。
彼はこの変えられない運命を受け入れ、人間の指示に従い、自分の使命を全うしようとする。(人間に従うようレプリカントはプログラムされている)
しかし突然、自分が人間である可能性を示唆される。
自分が人間なのか、レプリカントなのか…
その答えを探し求めた結果、一度は自分が人間であると思い込む。そして、そう思っている時、彼は紛れも無く人間であった。
終盤、結局は彼はレプリカントであることに気付かされてしまう。
しかし、それでもK(ジョー)の何が変わっただろうか。彼にはまだ動かせる身体があって、考えられる頭がある。そして、誰の命令にも従わず、自分の為に動ける意思がある。
(ここは身体の無いジョイの存在がとても良い対比になっててわかりやすかったように思う!主人公はデータでアップデートされたり、電気が消えたらいなくなるような存在じゃないし、誰かに頼らなくても現実に干渉する行動が出来る)
レプリカントだとわかった後、ジョーはレプリカントの為に、レプリカントから使命を受ける。そして、その使命に対し、彼は彼の意思で、考えで、行動する。誰にも従わず、自分が思う正しい行動を起こす。その行動には人間、レプリカントという境に縛られない、彼の意思(魂)の篭った行動であった。
最後の雪の中での階段のシーン。
彼は身体が機能を停止したというよりは、魂が抜けたように見えた。ジョーからは、機械的な死ではなく、人間的な死を感じた。
何故、デッカードが人間だと思うのか?
この作品の中で、ジョーは誰よりも人間らしく、人間だった。自分の意思に従い、真っ直ぐに自分の思う正義を貫く人間だったと思う。
だから、自分の目的の為に、自分の意思で最後まで戦ったデッカードもきっと人間なんだと思う(仮にデッカードも身体を誰かに作られたレプリカントであっても、自分の意思で行動する限り人間なのである。だから反逆を起こそうとしていたレプリカントも人間だし、前作のロイも人間なんだと思う)
最後に
前作のテーマをしっかりと踏襲しつつ、客の観たかった答えを真っ直ぐに返すのではなく、作品全体でじっくりと語る。ヴィルヌーブ、かっこいい!
また、人間とレプリカントの間に生まれた子供が、完璧でなく病弱であること。
かつ知力や筋力ではなく!!思い馳せること!他の動物と違う、人間の最大の特徴である想像力に優れているいうところも、シブい‼︎‼︎
見終わった後の余韻がスゴく、人と沢山話したく、語りたくなるようなとてもいい映画だった。
最後まで読んでくれた方、もしわかったら、ジョイが中盤で、ジョーの記憶の中だけでしか登場していない木彫りの馬を投影出来たのか理由を教えてくれると嬉しいです。あそこでもう、ジョーがレプリカントであるという示唆していたという解釈でいいのでしょうか。そこが引っかかっています。